YOGA

ヨーガスートラⅠー2 その1

先月から始まったオンラインスートラ講座。前回、録画で見返す味をしめたので(笑)一応ノートも用意してたけど、食い入るように画面を見て、みんなの声に耳を澄ませました。録画を見ながら今度はノートにメモもして、ふむふむ。気になる言葉は巻き戻してもう一回見てさらにふむふむ。いいなぁ、録画、便利だなぁ♪

1章2節

yogaḥ cittavṛttinirodhaḥ

ヨガとはなんぞやを言い切ってしまうこの節。そういう意味でも一番メジャーな節かもしれない。いろんな先生にいろんな解釈を聞いてきたけど、今回が一番新しく(感覚的に)そしてしっくりきた。だいたい小難しい直訳だと「ヨガとは心素の動きを止滅させるものである」みたいな🙄心素の動き=喜怒哀楽と理解し、それを止滅とは?感情を出すなってことか??と解釈した若かりし頃の私は大いに「???はてな???」が浮かんだものだ(笑)

何度もいろんな角度から解説され、自分が歳をとるにつれて別に喜怒哀楽するなってことじゃなくて、喜怒哀楽の原因を認識することで不必要に自分が振り回されないことかなっていう理解に変わっていって、私の中のハテナは一応解消されていたのだけど、今回聞いた解釈でスッキリした。

ナオさんがスートラなどを学んできた学校:Krishnamacharya healing and yoga foundationでは「ヨガとは心の動きを止めるものだ」みたいな解釈は聞いたことがないと。「nirodhaḥ」の語源である「rudh」の意味の中に「包みこむ」というのがあるので「包みこむ状態であること」だと。

「止める」と「包みこむ」聞いただけでもエライ違う。止めるというとターゲットはある意味ひとつ。でも包みこむなら複数もよし。そして包みこむと考えたとき、じゃー包むものは何?そこでヨガの語源「yuj」馬のくびき、繋ぐという意味が活きてくる。自分と何をつなげたいのか?それをちゃんとわかっておくこと。そうしないと包みこむものを間違えるねって。

私が今までで一番よく読んだスートラの本はコレ👇


なんだけど、あまり意識していなかったけどこの本にも「ヨーガという言葉は”結合”と訳されているが、結合するには二つのものがあるはずだ。ではこの場合、何と何が結合するのか?」(👈ちょっと本文からは端折ってあります)って書いてあった!ただ、その「何と何」のところを突っ込んで書いていない、そして「包みこむ」という概念では語られていないのでスルーしちゃってたんだと思うけど。

今回は自分の繋がりたいもの何だっけ?問題に突っ込んでみて、それごと包みこまれたらどうなれるかな?それが「今」の私にとってのヨガだよと。繋がりたいものは、自分のおかれる状況、環境により都度変わるもので「今」の私にとってのヨガっていうところがすごくミソ。

ヨガとは学べば学ぶほど(特に哲学)生きることそのものだと思うわけで。だからこそその時の自分にあわせてヨガがなんぞやが変わってくるのは自然なこと。今の私にとって繋がるべきは娘や旦那。それをぜーんぶ包み込んでみたらそれは俗にいう「愛」みたいなもんなんだろうなと。私は今それを体感しているのかもしれないなー。

きっと働きまくってた頃の私は忙しさで見えなくなっている「ほんとうのワタシ」的なものと繋がろうとしていて、それをひっくるめて包みこまれたら「自分の軸」みたいなものが見えてくるっていうヨガ体験をしていた気がする。同じワタシなのに時によりこんなにもヨガが違うってのが見えてきて本当におもしろい。

まとめてみると「自分が選んだものと自分の心をつなげることができて、外のものが一切邪魔していない状態」がヨガ!つながったものと自分の心を包みこむことで外のものから護られるってことだな。あぁ、なんてスッキリ!

うーん、まだまだ書きたいことがあるけど、いますでに長いので2つに分けよう(笑)
つづく。。。。

※まとめてみた解釈はあくまで私なりの解釈です。哲学に正解はありません!あしからずみんなも自分でいろいろ思考の波をサーフィンしてみてね😀

Tomoko Nakabu Yamada
GītāTomoko
愛知県、知多半島在住。 大学進学と共に上京し、約20年東京で過ごしたが、結婚を機に離れる。現在は主婦? 新卒で入社した会社は某電気メーカー子会社で半導体論理設計エンジニアとして開発業務に励む。社会人生活15年で7社を渡り歩き、さらに副業を掛け持ちしていた異色の経歴を持つ。2009年よりヨガインストラクターとしての活動をはじめ、現在もオンラインを中心に指導を続けている。 2019年に長女が産まれ、育児奮闘中!
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