YOGA

月1ヨガ部 ”アステーヤ”

前回のアヒムサに引き続き、ヤマのひとつである”アステーヤ”

日本語にして「不盗」と訳されることが多いこのアステーヤ。
盗むってことはどういうこと?

盗むという行為は人を傷つけることとイコールだったりもする。
じゃーアヒムサとの違いは何?

盗むということは、自分のものじゃないものを自分のものにするってことだから・・・
じゃ、他人のものと自分のものの定義は?

日本人は特に、仕事とか、言われる前に先輩のやってることを
見て盗めなんてよく言うけど、じゃー、盗むという行為は必ずしも悪ではない?

このお題も切り口いろいろ、掘ったら掘っただけいくらでも深い旅へ(笑

今回は2回完結シリーズ。
1回目が終わって出た宿題が
◆「他人のものと自分のもの」っていうことを考えてみる、感じてみる
◆自分が怒りを覚えたり、イラっとするとき「何を奪われた」と感じている?

この宿題のみんなの見る観点がこれまたおもしろくて。
自分の考えみたいなものが多かったけど、その表現が日本語って本当に豊かだから
いろいろ出てきた。

価値観
期待感
認識
Etc….

でもその表現の仕方が、だんだん人となりがわかってきた
ヨガ部仲間同士だと、その人っぽいなと思ったりして。

そして2回目ではスートラの”アステーヤ”について書かれた2章37節についても
みんなで考えてみて。

asteya

アステーヤが確立されたとき(ゆるぎないものとなったとき)、すべては宝石になる

訳すとこんなかんじだけど、宝石ってどうとらえる?
価値のあるもの?キラキラのもの?得るのが難しいもの。

私ははじめ、宝石→キラキラ°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°→全部好きなもの?って
結構短絡的に考えたけど
「アステーヤが確立されたとき」に出てくるこの宝石とは。っていうところまで
掘って考えたみんなの意見とかを聞いて、すべてが価値あるものになるっていうのが
最後しっくりきたかな。

怒りやイラッとするときに何を盗まれたと感じるのか?っていう
テーマで考えたとき、人が「盗まれた」と思うときは
自分にとって価値あるものが、その対価とともに移動するのではなく
自分のもとから無くなったときに盗まれた、盗られた、と感じて憤る。

ってことは、アステーヤが確立されたときというのは
すべてのものに関して、その価値を認められている。
私が短絡的に考えた好きなものっていうのも、その存在価値が認められてるのなら
嫌いにはあまりならないよなーなんて思いました。

人の観点に触れることで、自分の見方も影響を受けたり
受けなかったり。

ヨガ部の根本は不正解はない。
それを前提に語り始めるから、どんなことを言っても
どんな自分をさらしても、恥じることもないし批判されることもない。

そうやって、哲学ジャーニーを楽しんでます。
こうやって書き留めたことも、また本を読んだり
他の講義を聞いたり、語り合ったりしてまた変わるかもしれない。

それもまたアリ。
それが自分を見つける旅だから。そんな今の私を書き留めた日記って感じです。